このブログの更新を
RSSやTwitterで受信できます

ヒーローを待っていても世界は変わらない

<MEMO>
●「溜め」とは人を外界から守ってくれるバリアのようなもの。自信ややる気は、精神的な「溜め」としての機能がある。その全体が縮んでしまった状態、失われた状態が「貧困」である。

●自分が正当に報われていないという実感は確実なものとしてある。そのときに「世の中にこういう既得権益があります」と言われると、自分の日々の努力を踏みにじられたような気分になり、日々に余裕がないゆえに、なおさらそれを許せなく感じる。だから既得権益に屈しない切り込み隊長を待望するが、切込み隊長がバッサバッサとやることで、気づいてみたら自分が切られていた、ということもありえる。

●自分たちは要求する、しかし調整はしないという態度は、結局「誰かが調整してくれ。ただし、自分の要求を通すように」と言っていることに変わりない。

●政治不信は、個々の政治家や政党がダメだからではなく、民主主義の仕組みそのものがダメだから生じているという大きな転換がおこっている。

●誰に対しても、意見交換や調整を頭から否定すべきではない。地味だけれども、調整して、よりよい社会をつくっていくという粘り強さをもつ人たちが必要。

●最悪を回避するために、わずかでも自分たちの主張を「すべりこませる」。最善を求める熱心さと同じくらいの熱心さで、最悪を回避することにも注力する必要がある。

●「自分たちで決める。そのために自分たちで意見調整する」と調整コストを引き受ける民主主義に転換していくためには、さまざまな立場の人たちと意見交換するための社会参加、政治参加が必要。

●他者と信頼関係を築き、ニーズを聞き出す手段である足湯や炊き出し(共同炊事)を活用する。他者と関係をつくれる能力、議論し、調整できるコミュニケーション能力が必要。

●これまで、会社に属すること以外に「人と人を結びつける」スキルとノウハウが発達しなかった。「人と人との関係の結びなおし」をするのがソーシャルワークだ。いまの日本にはこのノウハウがない。

●より多くの人たちが相手との接点を見出すことに注力する社会では、自分たちで調整し、納得し、合意形成に至ることが、何よりも自分たちの力量の表れと認識される。

●「デカイこと」を求めていても、目の前のことに向き合えなければ、結局は足元をすくわれる。

Posted by THINKJAM.

Posted in

このブログの更新を
RSSやTwitterで受信できます

ページの先頭へ